2018年7月12日(木)

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聖書一日一章     エレミヤ書 3章

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彼らはもう、主の契約の箱について何も言わない。(16節)

神はエレミヤを通し、ご自身を忘れ、異教の神々に頼っているイスラエルの人々を、淫乱な妻あるいは道端で客を待つ売春婦にたとえて、責められます。7節では、「わたしは、彼女がすべてこれらのことをしたあとで、わたしに帰って来るだろうと思ったのに、帰らなかった」と、残念な気持ちを表明されます。10節では、「心を尽くしてわたしに帰らず、ただ偽っていたにすぎなかった」と言われます。当時、ヨシヤ王の宗教改革によって、国民全体が神に立ち返ったように見えましたが、うわべに過ぎないと言われるのです。

しかし、神はそんな人々に、「背信の女よ。帰れ」と、何度も呼びかけられます。そして、12節で、「わたしはあなたがたをしからない。わたしは恵み深いから」と言われ、19節では、「わたしはどのようにして、あなたを息子たちの中に入れ、あなたに慕わしい地を授けようかと思っていた」と言われます。激しい言葉を使っておられても、それは、人々を取り戻そうという強い思いからで、本当は愛しておられ、立ち返ったときのために良いものを用意しておられるのです。それを聞いて、エレミヤは思わず、国民を代表するような気持ちで、22節以下の悔改めの祈りをしました。「今、私たちはあなたのもとにまいります。すべては偽りでした。確かに、主に、救いがあります。」どんなに神から離れていても、どんなに罪に陥っていても、このような祈りをすれば、神は必ず喜んで受け入れてくださいます。そればかりでなく、そのときのために、いろいろな祝福を用意しておられるのです。

ところで、16節で、「彼らはもう、主の契約の箱について何も言わず、心にも留めない」と言われます。イスラエルの人々にとって、「契約の箱」は、最も貴重なもので、何を置いても守らなければならないもので、壮大な神殿もそれを入れるための建物に過ぎませんでした。そんな大事な「契約の箱」が、どうでもよくなると言うのです。私たちは「契約の箱」とは比べ物にならないキリストを知っているので、当然ですが、旧約の時代にこういうことが言われていることに驚きました。どんな時代であれ、大事なのは、信仰であって、神殿、聖堂、制度、伝統も取るに足りないものなのです。

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