2018年9月15日(土)

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聖書一日一章     エゼキエル書 11章

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石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。(19節)

バビロンで捕囚となっていたエゼキエルは、はるかエルサレムの神殿に連れて行かれる幻を見ましたが、その続きです。彼が神殿の外庭の東門に連れて行かれると、そこに25人の人がいて、その中には「民の長」という偉い人もいました。そのとき、神が「彼らに預言せよ」と言って、言葉を与えられました。その言葉は、人々が「この都は鍋であり、われわれはその肉だ」と言っていたことに対するものです。「鍋」や「肉」や、何のことやらさっぱりわかりませんが、これは、自分たちが安全であることを吹聴するたとえでした。「肉」は、自分たちのことで、当時、肉はとても貴重で、自分たちは神から肉のように大事にされているので、安全だという意味です。鉄の「鍋」は、城壁で囲まれたエルサレムのことで、鉄の鍋のように強い町の中にいて安全だという意味です。しかし、神は、それを否定し、彼らに剣をもたらし、この町から連れ出して、他国人に渡すと言われたのです。

同時に、神は7節で、「あなたがたが町の中に置いた死体は肉である」と言われました。彼らが迫害し、刺し殺した人々こそ、肉、つまり、ご自身が大事にされる民だと言われるのです。たしかに、神に忠実に従って刺し殺された殉教者こそ、神に最も愛される者でしょう。彼らは、地上では報いられることがありませんでしたが、やがてキリストが雲に乗って再臨し、世界中からご自身の民を集められるときに、まっ先に復活し、集められることでしょう。それは、殉教者たちだけではありません。神は19節で、「わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える」と約束しておられます。当時も、そのように、石の心、つまり、神に逆らうかたくなな心を取り除かれ、肉の心、つまり、柔く神の言葉にすなおに従う心を与えられた人が、少なからずいたと思います。私たちは、はるかに幸いなことに、キリストが来られた後なので、キリストを知ることができ、聖霊を与えられ、聖霊によって、石の心を取り除かれ、肉の心を与えられました。今も鉄の鍋のように強い神の御手に守られていますが、たとえ死んでも、キリストが再臨されるときに、復活して、キリストの下に集められることでしょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成