2018年10月11日(木)

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聖書一日一章     エゼキエル書 37章

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彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。(10節)

1節から14節は、エゼキエルが見た幻です。エゼキエルは、ある平地に立っていましたが、そこには無数の干からびた骨が散らばっていました。命じられるまま、骨に向かって、「おまえたちは生き返る」と言うと、ガラガラと、骨と骨とがつながり、筋がつき、肉がつき、皮膚におおわれました。次に、命じられるまま、「息よ、吹いて来い」と言うと、無数の体に息がはいり、それらは生き返り、立ち上がり、大きな集団となりました。11節以下で、神が解説されますが、無数の干からびた骨はイスラエルの民を表しています。国が滅び、散々になり、落胆し、「骨は干からび、望みは消え失せた」と言っていて、生ける屍だったからです。その骨が生き返ったのは、神が民族を再生されることを表しています。それも、息を吹き込んだときに生き返ったのは、神の霊と言葉によってそのことが起こるということでしょう。

さて、骨がつながり、筋がつき、肉がつき、皮膚におおわれ、息が吹き込まれて生きた人になる様子は、神が最初に人を創造されたときの様子だと思いました。創世記2章7節には、「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きものとなった」とあります。神は、土や、単なるカルシウムの固まりに過ぎない干からびた骨から、人を造ることがおできになるのです。また、その様子は、私たちが世の終わりに復活するときの様子でもあると思いました。コリント人への第一の手紙15章52節に、「終わりのラッパとともに、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです」と言われています。ここでは、その動画を見ているようです。しかし、同じコリント人への第一の手紙の同じ章の44節では、「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえされるのです」と言われています。私たちが世の終わりに復活するときには、「御霊に属するからだ」という、現在の体とは比べものにならないすばらしい体を与えられるのですから、そのときの光景は、エゼキエルが見た光景よりもはるかにすばらしい美しい光景になるでしょう。

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