2018年11月8日(木)

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聖書一日一章     ホセア書 5章

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主を尋ね求めるが、見つけることはない。(6節)

神は1節で、「祭司たちよ。これを聞け。イスラエルの家よ、心せよ。王の家よ。耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る」と言われます。「イスラエルの家」というのは、イスラエル北王国のことで、その王たちや祭司たちにさばきを宣言しておられます。3節では、「あなたは姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった」と言われます。「姦淫」というのは、この書でしばしば出て来ますが、神に愛されているのに、ほかの神々を慕っている、信仰的な意味での姦淫のことです。北王国は、南北に分裂したときから、国民に牛の像を拝ませ、外国の偶像の神々に対する警戒心がなく、アハブ王の時代には、国がバアル崇拝一色になったほどです。それは、エフーによって一掃されましたが、その体質は変わらず、当時も外国の神々に溢れていたようです。そのため、神は9節で、「エフライムは懲らしめの日に、恐怖となる」と言われます。実際、後に北王国を滅ぼすことになるアッシリヤの影が忍び寄って来ていました。そのため、13節のように、国の首脳は、「アッシリヤに行き、大王に人を遣わし」て、いろいろむなしい工作をしていたのです。

さて、6節には、人々は「主を尋ね求めるが、見つけることはない。主が彼らを離れ去ったのだ」とあります。長年、神を無視して、不信仰な生活を続けていたので、神が離れ去られ、尋ね求めても、見出せないというのです。キリストもヨハネの福音書12章35節で、「闇があなたがたを襲うことがないように、光があるうちに歩きなさい」と言っておられます。「光」とは、神を知って、救われる機会のことですが、今は光があって、尋ね求めれば、見出すことができるが、闇におおわれてしまうと、それができないので、今、光のあるうちに尋ね求めるようにというのです。それでは、ホセアの時代、北王国の人々は、神が離れ去られ、神を尋ね求めても見出すことができないほど、闇におおわれていたのでしょうか。そんなことはないと思います。神がホセアを預言者として召され、北王国の人々に向かって語らせておられること自体、光があるしるしであり、ホセアの言葉を聞いて悔改め、神を尋ね求めれば、見出すことができるのです。教会がある限り、福音が宣べ伝えられている限り、まだ光はあるのです。

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