2021年1月25日(月)

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聖書一日一章     詩篇 9篇

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主はとこしえに御座に着かれる。(7節)

ダビデは、神を義の審判者としてたたえます。神は義の審判者として、とこしえに天の王座に着き、世界をさばかれると言います。そして、ダビデの訴えを聞いて、彼の敵を根こそぎにされ、永遠に消し去られたと言います。「…た」と、過去のことのように言っていますが、まだ起こっていないことなのに、強い確信のゆえに、既成事実のように思っていたからです。同時に、神を知り、神に拠り頼む者には、「お見捨てになりません」、「貧しい者の叫びをお忘れにならない」、「死の門から引き上げてくださる」と言います。

さて、6節では、「敵は絶え果てました。―永遠の廃墟、あなたが根こそぎにされた町々―彼らの記憶さえ消え失せました」と言います。ダビデは滅び去り忘れ去られた町々のことを考えているのでしょう。ひょっとすれば、未来の栄枯盛衰を幻で見て、そう言っているのかもしれません。長い歴史においては、自分たちの栄えは永遠に続くと豪語した都市、滅びることなどありえないと思われた都市が、廃墟となり、忘れ去られるということが起こります。バビロンがどれほど栄えていたかは、考古学によってよく知ることができます。栄えていたときのバビロンを知る人は、400年ほどして、石の散乱する廃墟になってしまったとは、とても信じられないでしょう。また、世界の歴史において、ローマほど栄えた都市はないでしょう。キリストの時代には、ヨーロッパと北アフリカを支配していました。人々はこの都市が永遠に続くと疑わず、「永遠の都ローマ」と呼びました。しかし、600年ほど経ったときに、すっかり荒廃してしまいました。そんなことを、ローマ帝国の人々が聞いたら、とても信じられないでしょう。都市や国で永遠に続くものはありません。永遠に続くのは、神だけです。現在も強大な力を持っている都市や国があります。そういう都市や国に、世界中が経済的に頼っていて、いつまでも栄えていてほしいと思っています。しかし、それはむなしい期待です。永遠に続くのは神だけです。ですから、ダビデは7節で言います。「主はとこしえに御座に着き、義によって世界をさばかれる。」また、19節で言います。「主よ。立ち上がり、人間が勝ち誇らないようにしてください。主よ。国々に思い知らせてください。自らが人間にすぎないことを。」

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