2021年4月15日(木)

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聖書一日一章     詩篇 89篇

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主は、とこしえにほむべきかな。(52節)

1節から18節で、天におられる創造主なる神の偉大さや崇高さをほめたたえます。「いったい雲の上では、だれが主と並び得るでしょう。」「主は主を囲むすべての者の上におられる恐るべき方。」「天はあなたのもの。地もあなたのもの。世界とそこに満ちているものは、あなたが基を据えられました。」これこそ私たちの信仰です。私たちも同じように神をほめたたえます。

また、3節と4節および19節から37節では、神がダビデをイスラエルの王として選び、その子孫が代々王となり、その王権がとこしえまで続くと約束されたことを語ります。「わたしはあなたの王座を代々限りなく打ち立てる。」「彼の子孫はとこしえまでも続く。その王座は太陽のようにわたしの前にあり、月のようにとこしえに堅く立つ。」ダビデから始まったイスラエル王国は滅びましたが、私たちは、ダビデはキリストを預言するモデルで、その約束はキリストにおいて実現すると信じています。つまり、神がキリストを世界の王として選ばれ、キリストが天の王座に着き、今も王として信じる人々を従えておられますが、やがて逆らうあらゆる勢力を滅ぼし、すべてのものをその権威の下に置き、永遠に王として治められます。

しかし、作者がこの詩を作り、こうして歌っているのは、イスラエル王国が栄えているときでもなければ、キリストが来られ、その教えが世界中に広がっているときでもありません。38節から51節で、その悲惨な状況を述べています。城壁はことごとく打ち壊され、価値ある物は奪い去られ、王冠は地に捨てられ、輝きは消えたと。イスラエル王国が滅び、神殿も王宮も破壊され、財宝は奪われ、王家の人々がみな殺され、王家で残っていたのは、バビロンで牢屋に入れられているエホヤキンだけ、国民がみなバビロンに連れて行かれ、神を信じる人すらいなくなってしまいそうな状況でした。しかし、作者はそんな状況にも少しも弱らず、天におられる創造主なる神をほめたたえ、神の言葉に従って、神がダビデとその子孫を王として選ばれたことを確信しているのです。私たちは状況によって信仰が揺れ動きますが、神の真理、神の約束、神の言葉はそんなことで変わるようなものではありません。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成