2021年4月18日(日)

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聖書一日一章     詩篇 92篇

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愚か者にはこれが分かりません。(6節)

1節で、「主に感謝することは、良いことです」と言います。何のために良いとか、こういう点で良いとかのように、限定しないで、「良い」と言っていますが、それはあらゆる面で良いということです。神に感謝することで、マイナスはありません。作者が神に感謝したいと思っているのは、4節で言うように、神がみわざで喜ばせてくださったからです。どんなみわざで喜ばせてくださったのでしょうか。9節や11節から推測すると、侵略して来た敵や襲って来た悪者どもを撃退されたことです。作者は神に感謝するとともに、12節以下のように、神の守りによる末長い安泰を確信しています。「正しい者ら」は、「なつめ椰子の木のように萌え出で、レバノンの杉のように育ちます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、青々と生い茂ります。」

さて、5節と6節で言います。「主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。愚か者にはこれが分かりません。」作者にとっては、神のみわざは驚くほど大きいのですが、「愚か者」、つまり神を信じない人には、それが分からないというのです。しかし、考えてみると、神は目に見えない存在ですし、神のみわざも意識して見ないと、自然の出来事か人の行為にしか見えません。だとすると、神のみわざが分からないのが普通で、むしろ、分かるほうが不思議なのです。私たちは教会で、あるいはクリスチャン同士で、主はこんなことをしてくださったとか、こんなふうに導かれたと、平気で言っていますが、不思議なことを言っているものです。もっとも、最初からそうだったのではありません。私たちも、元々は、神の存在もみわざも分からなかったのではないでしょうか。キリストを信じたときに、目が開かれて、分かるようになったのです。ヘブル人への手紙11章は言います。「信仰は、目に見えないものを確信させるものです。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟ります。」信仰は目に見えないものを見えるようにするものです。聖霊によって信仰が強められ、ますます神のみわざがよく見えるように祈りましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成