2021年5月2日(日)

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聖書一日一章     詩篇 106篇

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私たちは悪を行ってきました。(6節)

「ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と言って、神がどんなにいつくしみ深いかを語ります。その語り方は、神がしてくださった良いことを並べるのではなく、自分たちの罪を並べ上げます。6節で、「私たちは先祖と同じように罪を犯し、不義を行い、悪を行ってきました」と言って、先祖たちの犯した罪を一つ一つ述べていきます。昔、先祖たちがエジプトを出た直後、エジプト軍に葦の海に追い詰められたときに、神を無視してエジプトに帰ろうとしたこと。荒野でマナを与えられていたのに、肉を欲しがってわめき散らしたこと。神が任命されたモーセとアロンが上に立つことに反対したこと。シナイ山で子牛の像を造って拝んだこと。最初に神からパレスチナに攻め上るように言われたとき、神を信じず、従わなかったこと。メリバという所で水がなくなったとき、モーセと神に歯向かったこと。パレスチナ占領後、偶像の神々を崇拝するようになったこと。これでもかこれでもかと、先祖たちの罪を並べ上げ、それを自分に投影し、自分の罪として神に告白しているのです。

今回、この罪の告白と4節が深く関係していると思いました。4節では、「主よ。あなたが御民を受け入れてくださるときに、私を心に留め、御救いのときに、私を顧みてください」と言います。「御民を受け入れてくださるとき」とか、「御救いのとき」というのは、47節で「国々から私たちを集めてください」と言うように、当時バビロンにいたイスラエルの人々が捕囚から解放され、国に帰るときのことでしょう。そのときに、自分をも御心に留め、国に帰らせてくださいと祈っているのです。そして、罪の告白をしているのは、そうすれば、神が憐れんで、祈りを聞いてくださると思うからです。ヤコブはその手紙の5章16節で、「あなたがたは癒されるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい」と言います。病気の癒しを祈るときに、その祈りが聞かれるように、互いに罪を告白するようにと言うのです。ここでの罪は互いに対して犯した罪ですが、もし神に対して犯した罪があるなら、もちろん神に告白すべきです。そんなふうに罪を告白するなら、神はきっと祈りを聞いてくださることでしょう。進んで罪の告白をしましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成