2021年5月9日(日)

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聖書一日一章     詩篇 113篇

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身を低くして天と地をご覧になる。(6節)

1節で、「主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ」と、敬虔な人々に神をほめたたえるように勧めます。そして、「今よりとこしえまで」つまり、いつまでも永遠に、「日の昇るところから沈むところまで」つまり、全世界で、神がほめたたえられるように願います。さらに、5節で、「だれが私たちの神、主のようであろうか」と言って、以下、神の比類なき性質を述べます。「主は高い御位に座し」と言って、高いことを真先に言いますが、後は高さや強さよりも、小さく弱い者に対する優しさを言います。「主は弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、子のいない女を、子を持って喜ぶ母としてくださる。」神が高く強いだけでなく、小さく弱い者に優しく温かい方であることは私たちを引きつけてやみません。

ところで、6節では、「身を低くして、天と地をご覧になる」と言いますが、「身を低くする」というのは、すべてのものの上に立つ主である方には不似合いな言葉です。神についての同じような表現が他に1ヶ所だけあります。詩篇18篇35節の「あなたの謙遜は私を大きくします」です。私たちは、小さく弱い者ですので、謙遜とか、へりくだりが大切で、それを忘れるなら、身の程を知らない傲慢な者ということになりますが、神はあらゆる点で限りなく高いので、へりくだるのはおかしいし、ご自分を偽ることになります。しかし、絶大な権力を持ち、だれに遠慮することも頭を下げることもない王でも、自分の幼い子のためには、頭を下げることがあります。たとえば、幼ない子が病気になったときに、医者に何とか治してくれと頭を下げることです。あるいは、幼ない孫と話をするために、しゃがむようなことです。神は、ご自分のことでは、身を低くする必要がまったくないのに、小さく弱い私たちを愛して、御心を私たちのところまで下ろされるのです。そして、御子が実際に私たちのところまで下りてくださったのです。パウロはピリピ人への手紙2章6節で言います。「キリストは、神の御姿であられるのに、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」神の御子であり神である方が私たちのために、一番低い所まで下りられたのです。

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