2021年5月12日(水)

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聖書一日一章     詩篇 116篇

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主は浅はかな者を守られる。(6節)

この詩は、「私は主を愛している」という言葉で始まって、その言葉通り、神への愛情を思いつくままに表現しています。「主が私に耳を傾けてくださるので、私は生きているかぎり主を呼び求める。」「主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。」「私がおとしめられたとき、私を救ってくださった。」「あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから救い出してくださいました。」「主が私に良くしてくださったすべてに対し、私は主に何と応えたらよいのでしょう。」「主の聖徒たちの死は、主の目に尊い。ああ、主よ。私はまことにあなたのしもべです。私はあなたに感謝のいけにえを献げます。」神に良くしてもらったことをたくさん思い出して、感謝があふれているようです。私たちもその言葉一つ一つに心に触れるところがあるのではないでしょうか。

ところで、私は今日、6節の「主は浅はかな者を守られる」という言葉が心に留まりました。私は自分が生まれつき浅はかな人間だと思います。主にいつも教えられてきたので、かなりましになりましたが、もともとほんとうに浅はかでした。浅はかさによって、とりかえしのつかないことをしていたとしてもおかしくありませんが、憐み深い主は、危いところで守ってくださったと思います。主が守ってくださらなければ、好奇心から危険なことをすることがあったので、大けがをしたり、事故を起こしていたかもしれません。友だちと悪ふざけをして、だれかに傷を負わせたり、大きな迷惑をかけていたかもしれません。頭に血が上りやすいほうなので、逆上して、事件を起こしていたかもしれません。学生運動の危機をあおるような扇動に乗って、のめりこんでいたかもしれません。うまい儲け話に乗って、投資し、借金だけが残っていたかもしれません。一時の感情や義理で結婚し、どうしても我慢できなくなって、離婚していたかもしれません。車の軽率な運転をして、大きな事故を起こしていたかもしれません。浅はかさによって、危うかったことがいくらでもありますが、主が不思議に大事に至らないように守ってくださいました。いくら感謝してもし切れません。主よ。ありがとうございます。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成