2021年6月10日(木)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章     詩篇 135篇

_____________________________________________________________________________

おまえの真っただ中に、主はしるしと奇跡を送られた。(9節)

1節で、「主の御名をほめたたえよ。主のしもべたち。主の家で仕える者よ」と言います。前の134篇の1節とほとんど同じですので、134篇とは対のような詩で、エルサレムの神殿で仕える祭司たちの賛美を思いながらうたったものです。創造主なる神がイスラエルを選び特別に愛されたことと、ほかの神々と比べものにならないほど偉大であることをたたえています。

さて、8節と9節では、出エジプトのときに、神がエジプト人のすべての初子を打たれたことに関して、次のように言います。「エジプトよ。おまえの真っただ中に、主はしるしと奇跡を送られた。ファラオとそのすべてのしもべらに。」これは神が「ファラオ」すなわちエジプトの王の初子と、家臣たち全員の初子を打たれたことを言っています。王や家臣たちは、石造りの頑丈な宮殿の中にいて、多くの人が仕え、またその周りを多くの近衛兵が守っていて、また、すべてのエジプト人がある意味で彼らのしもべで、エジプトの守りの中心にいました。どんな強盗も、反逆者も、外国の刺客も、そこに近づくことはできません。彼らは、絶対の安全が保障されていて、何も怖いものがなかったでしょう。あたかも神のような立場です。しかし、創造主なる神は、その「真っただ中にしるしと奇跡を送られ」、初子を打ち、さばかれたのです。神の力とさばきを妨げられるものは、何もありません。王や家臣たちにとって、そんな神は一番怖い存在で、認めたくなかったでしょう。

現在でも、力のある人々は、自分の力によって自分の安全を守っています。その力が強いと安心なので、安心して好きなことをしています。そういう人々にとって、どんな所までも見透かし、時を定めてさばきを行う神は、もしほんとうに存在するとすれば、怖い存在です。その存在を認めたくないでしょうし、聞きたくないでしょう。嫌ったり、あざけったりするのもわかります。3節では、「主の御名にほめ歌を歌え。その御名は実に麗しい」と言います。自分の力で安全を守って好きなことをしている人々が恐れる主の御名が、主に頼る私たちには実に麗しい御名なのです。主の御名をほめたたえましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成