2021年6月13日(日)

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聖書一日一章     詩篇 138篇

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あなたのみことばを高く上げられた。(2節)

神に感謝をささげ、神をほめたたえています。それは、3節で、「私が呼んだその日に、あなたは私に答えてくださった」と言うように、また、7節で、「私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいました」と言うように、神がよくしてくださったからです。6節では、「主は高くあられますが、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます」と言います。神がよくしてくださるのは、その人の行ないや功績によらない無条件の恵みですが、一つだけ条件があるとすれば、それは高ぶらないことでしょう。恵みはすべて信仰によって与えられるものですが、高ぶることは、神を信じることと対立するからです。

さて、2節では、「あなたがご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです」と言います。「みことばを高く上げられた」というのは、神がご自分の言葉の権威を高められたということです。一般に、言葉の権威が高まるのは、言ったことが事実であったり、未来について言ったことがその通りになったりする場合です。ですから、神がご自分の言葉を高められたというのは、それが真実であることを証明されたとか、約束したり予告した未来のことをその通り実現されたということです。

神はそのようにご自分の言葉を高められますが、それは「ご自分の御名のゆえ」だと言います。人は神を目で見ることができないので、旧約時代には「ヤハウェ」という名で認識しましたし、新約時代には「イエス・キリストの父なる神」という名で認識します。神を目で見ることができない私たちにとっては、神の名は神ご自身と同じです。私たちは主の祈りで、「御名があがめられますように」と祈りますが、それは神ご自身があがめられることと同じです。私たちは御名をあがめなければならないというよりも、御名が尊いので当然のようにあがめてしまうのです。神も、私たちが自然に御名をあがめることができるように、それにふさわしい存在でいてくださり、そのためにご自分のみ言葉を高められるのです。私たちは高められたみ言葉によって、神の高さを覚え、当然のようにあがめるのです。

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