2021年6月14日(月)

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聖書一日一章     詩篇 139篇

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神よ。私を探り、私の心を知ってください。(23節)

作者は、神に向かって、神が自分を知り尽くしておられることを、感動をもって述べています。1節から6節では、神が自分のすべてを見、知っておられることを述べます。「あなたは私を探り知っておられます。」「あなたは私の座るのも立つのも知っておられます。」「あなたは私が歩くのも伏すのも見守り、私の道のすべてを知り抜いておられます。」「ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそのすべてを知っておられます。」7節から12節では、どこに行っても、神がそこにおられ、見ておられることを述べます。「私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて。」「たとえ私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」「私が暁の翼を駆って海の果てに住んでも、そこでもあなたの御手が私を導きます。」13節から16節では、神が自分の内部の隅々まで知っておられることを述べます。「あなたこそ、私の内臓を造り、母の胎の内で私を組み立てられた方です。」「私が隠れた所で造られたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。」「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが記されました。」作者は、抽象的に深い信仰を表明するだけではありません。19節で、「神よ、どうか悪者を殺してください。人の血を流す者どもよ。私から遠ざかれ」と言います。えげつない言い方ですが、それだけ状況は深刻でした。そんな中で、神が自分のすべてを知っておられることは、何よりもの頼り、何よりもの望みだったのです。

ところで、神が自分のすべてを知っておられることは、自分の深刻な状況もよく知っておられることで、必ず助けてくださるという確信につながります。しかし、それは同時に、自分の隠している罪も、心の深い所にある汚れも、みな知っておられるということです。それは、とても重いことであり、自分を日々圧迫することです。ですから、神が自分のすべてを知っておられることを、うれしいと感じるためには、キリストによって自分の罪を完全に赦してもらって、神と完全に和解していなければなりません。キリストを罪からの救い主と信じておられるでしょうか。罪を完全に赦してもらっているでしょうか。神が自分のすべてを知っておられることは、うれしいでしょうか。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成