2021年7月21日(水)

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聖書一日一章     箴言 26章

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愚かな者には、その愚かさに合わせて答えよ。(5節)

私は4節と5節の言葉が心に留まりました。4節では、「愚かな者には、その愚かさに合わせて答えるな。あなたも彼と同じようにならないためだ」と言います。愚かな者に合わせて答えるとはどういうことでしょうか。「彼と同じようにならないため」と言うのですから、その話に同調することでしょう。たとえば、悪口や陰口を聞いて、おもしろがっていっしょに悪口や陰口を言うことでしょう。たとえば、ずるい儲け話を聞いて、その話に乗ることでしょう。たとえば、根拠もなく怒っている人の話を聞いて、いっしょに怒ることでしょう。私たちはキリストの救いによって少しだけ神の知恵を得ていますが、もともと愚かな者なので、愚かな話には乗りやすいのです。話に乗って、愚かな者に戻らないように気をつけましょう。

ところが、次の5節では、「愚かな者には、その愚かさに合わせて答えよ。そうすれば彼は、自分を知恵ある者と思わないだろう」と、まったく反対のことを言います。どういうことでしょうか。これは、パウロがコリント人への手紙第二11章でしていることではないかと思いました。当時、あちこちの教会を回って間違った教えを説く人たちがいたのですが、彼らは自分たちのことをいかにも偉い先生だというふうに自慢していて、コリントのクリスチャンたちも感心して、その教えに影響されていました。パウロは、自分を誇ったり、自慢したりするのは愚かだと思っていましたが、彼らの自慢に感心して影響されている人々の呪縛を解くために、あえて愚かになりました。「だれかがあえて誇るのなら、私は愚かになって言いますが、私もあえて誇りましょう」と言って、だれもが感心することを話しました。愚かさに合わせて答えるとはそういうことでしょう。私が求道していたときや、信じてからも信仰が弱かったときに、信仰について様々な疑問を持っていました。そういう疑問は、この世に影響されて生じた愚かな疑問でしょう。しかし、キリストは愚かな疑問だと言ってつき放さず、愚かな私に合わせて一つ一つ丁寧に答えてくださったように思います。私たちも信仰について周りの人々からいろいろバカなことを言われることがあるでしょう。なかなか答えられないようなものが多いですが、寄り添う姿勢だけは持ちたいと思います。

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