2021年9月11日(土)
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聖書一日一章 イザヤ書 27章
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わたしと和を結ぶがよい。(5節)
イザヤは、神の、国々の王たちに対するさばきと、神を愛する人々への祝福を預言してきましたが、ここでも、さばきと祝福を対比的に語ります。1節では、「主は、逃げまどう蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される」と言います。「レビヤタン」は伝説上のワニのような巨獣、「海にいる竜」は創世記1章では「海の巨獣」と訳されていますが、「蛇」とも訳される語で、蛇のような巨獣つまり竜です。そういう巨獣が実在するかどうかはともかく、ここでは、大国のたとえです。そんな巨獣のように恐るべき大国を、神は簡単に罰せられます。神の全能の力はほんとうにすごいです。
それとは対照的に、ご自身を愛する人々に対しては、ぶどう畑のように水を注ぎ、夜も昼も見守ると言われます。このような取り扱いを受ける人はほんとうに幸いです。ですから、神は5節で、「もしわたしという砦に頼りたければ、わたしと和を結ぶがよい」と言われます。「砦」と言われる意味は、25章4節でイザヤが神のことを「弱っている者の砦、貧しい者の苦しみのときの砦、嵐のときの避け所、暑さを避ける陰」と言ったその意味です。神と和を結ぶなら、神がそんな砦になってくださるのです。そして、神は差別なく人々に、「わたしと和を結ぶがよい」と、手を差し伸ばし、呼びかけておられます。ここでは、まだ旧約時代なので、イスラエル人の中の信仰から離れている人々に呼びかけておられますが、キリストが来られて新しい時代になると、世界のすべての人にそう呼びかけられるのです。
それにしても、どんなに神を忘れていても、どんなに神の道をはずれていても、「わたしと和を結ぶがよい」、「弱い者を守る砦になってあげよう」と言ってくださる神は、なんと優しい方でしょう。もしも神がレビヤタンのような存在だったら、どうでしょうか。力は強く、暴れ回るばかりです。どうすれば怒らせないか、どうやって生き延びようかと、いつもいつも考えていなければなりません。怒り出せば、謝ろうが、なだめようが、話がまったく通じません。しかし、神はそうではありません。私たちがいつでも神を頼ろうと思えば、いつでも和を結び、受け入れてくださるのです。
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