2021年9月13日(月)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章     イザヤ書 29章

_____________________________________________________________________________

耳の聞こえない人が、書物のことばを聞く。(18節)

1節では、神が「ああ、アリエル、アリエル」と呼びかけられます。「アリエル」は、「神の祭壇の炉」という意味で、祭壇の置かれていた神殿のあったエルサレムを指しています。どうしてエルサレムのことを神がそんなふうに呼ばれるのかというと、2節から8節で、外国の軍がエルサレムを滅ぼす光景を描いておられますが、その結果、町が焼かれて祭壇の炉のようになるということでしょう。その理由として、10節では、預言者は未来を見る目なのに、人々がその言葉を無視することによってその目を閉じてしまったと言われます。13節では「この民が口先でわたしに近づき、その心がわたしから遠く離れているからだ」と言われます。しかし、17節以下では、うって変わって、未来の明るい時代を約束されます。「その日、耳の聞こえない人が書物のことばを聞き、目の見えない人の目が、暗黒と闇から物を見る。柔和な者は主によってますます喜び、貧しい者はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。」キリストが来て、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、目の見えない人を見えるようにされること、柔和な者や貧しい者が幸いであるような世界を開かれることの預言です。

さて、11節では、「あなたがたにとっては、すべての幻が、封じられた書物のことばのようになった」と言われます。「幻」というのは預言のことで、「すべての幻」と言えば、モーセからイザヤに至るまでのすべての預言ですから、それまでに書かれていた聖書とも言えるでしょう。それが封じられて、だれも読めなくなったと言われるのです。文章としては読めても、信仰的な意味がまったく分からなくなったということです。はじめて聖書を読む人が経験することです。普通の書物なら、どんな書物でも、教養さえあれば、ある程度は分かるものですが、聖書は、その一番大事なメッセージが信仰のない人にはまったくわからないのです。言い換えると、聖書は信仰によってはじめて理解できるということです。信仰は聖霊によって起こされますので、聖書は聖霊によって理解できるとも言えるでしょう。聖書を読んで、力づけられたり、慰められたりしているなら、信仰を持っているのであり、聖霊を与えられていて、聖霊が働いていると言えます。そのことに感謝しましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成