2021年9月15日(水)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章     イザヤ書 31章

_____________________________________________________________________________

獅子は彼らの声にひるむことがない。(4節)

1節の「助けを求めてエジプトに下る者たち」は、ユダ王国の使者たち、大国アッシリアに対抗すべく、エジプトに援軍を要請しに行く使者たちのことです。それは、政策の問題ではなく、「馬に頼り、騎兵に拠り頼み、主を求めない」と言うように、軍事力に頼り、神に頼らない不信仰の問題でした。

そして、彼らが頼るエジプトとその軍事力は、3節で、「エジプトは人間であって神ではなく、彼らの馬も肉であって霊ではない」と言うように、神のように永遠不滅ではなく、より強いアッシリアには負ける、頼りにならないものでした。反対に、8節では、「アッシリアは人のものでない剣に倒れる」と言います。これは、後の奇跡的出来事、列王記第二19章に記されている、エルサレムを攻めているアッシリアの18万以上の兵が陣営で、夜突然死するという出来事を預言しています。皮肉なことに、人々が頼るエジプトは何の役にも立たないのに、頼らない神がアッシリアを追い返されるのです。

さて、4節では、「たとえ大勢の牧者がそこに呼び集められても、獅子は彼らの声にひるむことなく、彼らの騒ぎにも動じない。そのように、万軍の主は下って来て、シオンの山とその丘の上で戦う」と言います。「獅子」は、創世記49章で、ヤコブが、ユダ族から出る王を「獅子」と言って預言した、その王のことですが、ダビデがまずその王でした。ここでは未来のこととして語られていますので、ユダ族から再び王が出るということで、その王を指しています。「万軍の主は下って来」と考え合わせると、天から下ってユダ族として生まれるキリストを預言していることが分かります。「大勢の牧者」は、ここでは悪い牧者で、諸国の王たちを指しています。その王は、諸国の王たちが攻めて来ても、ひるまず、一人で果敢に戦うと言うのです。キリストは、神の真理を教え、すべての人を救うために、権力者たちの迫害、宗教の権威者たちの反対、民衆の反対にも、少しもひるまず、その働きを押し進めて行かれました。私たちはみんなと歩調を合わしたいという気持ちが強く、正しいことでも、多くの人の益になることでも、すぐひるんでしまいます。キリストの姿を見つめ、習いましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成