2021年9月16日(木)

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聖書一日一章     イザヤ書 32章

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牛とろばを放し飼いするあなたがたは。(20節)

1節から5節では、未来のキリストの到来を予告し、キリストが治められるときの人々の幸せを描きます。「見よ。一人の王が義によって治め、首長たちは公正によって支配する。彼らはそれぞれ、嵐を避ける隠れ場のようになり、砂漠にある水の流れ、乾ききった地にある、大きな岩の陰のようになる。見る者の目は固く閉じることがなく、聞く者の耳は注意深く聞く。性急な者の心も知識を悟る。」上に立つ人が権力を振りかざさず、むしろ弱者を保護し、すべての人が真理を見、真理を聞き、真理を知るすばらしい時代です。

15節から20節でも、その時代の人々の安らかな生活を描きます。「いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。義が平和をつくり出し、とこしえの平穏と安心をもたらすとき、私の民は、平和な住まい、安全な家、安らかな憩いの場に住む。」神の霊が注がれ、義が人々の内に宿るので、平和な人となり、殺伐とした社会が果樹園のような豊かな、愛に満ちた社会となるのです。キリストを信じる人々に聖霊が注がれるときに実現する新しい交わりです。

20節では、「幸いなことよ。牛とろばを放し飼いするあなたがたは」と言います。義が人々の内に宿るので、盗まれる心配がなく、放し飼いにできて幸せだというのです。動物を飼うのに放し飼いほど良いことはありません。牛にしても鶏にしても、気持ちがよいので、健康で肉づきがよくなり、乳や卵も狭い所で飼うのとまったく違います。人間も束縛されず自由に生きるのが一番幸せです。もともと神は人間を、エデンの園で自由に生きるように造られました。しかし、人間が罪に陥った結果、働かなければ生きていけなくなり、人が人を支配するようになり、権力や法律で縛られるようになりました。神も罪深い人間が争って滅びてしまわないために、そういう支配や束縛を許しておられます。キリストはそんな私たちを解放してくださいました。キリストは私たちの羊飼いとなり、放し飼いにしてくださいます。聖霊を注ぎ、心の自由を与えてくださいます。パウロはコリント人への手紙第二3章17節で、「主の御霊のおられるところには自由があります」と言います。

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