2021年9月18日(土)

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聖書一日一章     イザヤ書 34章

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天は巻物のように巻かれる。(4節)

イザヤはここでは、世界の終わりの神のさばきを預言しているようです。2節では、「主がすべての国に向かって激しく怒り、彼らを聖絶し、虐殺されるにまかされたからだ」と言います。4節では、「天の万象は朽ち果て、天は巻物のように巻かれる」と言います。5節から15節では、死海の南東のエドムという国が荒れ果てる様子が描かれていますが、神に逆らう国々の代表として取り上げられているのでしょう。9節では、「川はピッチに、その土は硫黄に変わる。その煙はいつまでも立ち上る。そこは代々にわたって廃墟となる」と言います。核戦争が起こったような、あるいは、巨大隕石が落ちたような、あるいは、世界の火山がいっせいに噴火したような状態です。世の終わりの直前にはそのようなひどい状態になるのでしょう。

さて、4節では、「天の万象は朽ち果て、天は巻物のように巻かれる」と言います。キリストはマタイの福音書24章で、ご自身が天の雲に乗って下って来られる直前に、「太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ちます」と言われました。太陽がなければ、植物も育たず、動物も人間も生きていけないのに、その太陽が暗くなるとはまったく絶望的です。「天は巻物のように巻かれる」とは、世界の最後は案外あっけないのかもしれません。天地創造において、神が「大空よ。あれ」と言われたら、天空ができたように、今度は「大空よ。なくなれ」と言われたら、消えてなくなるのでしょう。神にとっては大きなことではありません。

また、ペテロはその手紙第二3章10節と11節で言います。「主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去ります。そうだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。」「聖なる生き方」とは、この世に執着しないで、この世から離れる生き方でしょう。「敬虔な生き方」とは、神に望みを置く生き方でしょう。ほとんどの人は、この世がすべてで、この世の何かを望みとして生きています。そのすべてが崩れ去るとすれば、この世への執着を捨て、神に望みを置くしかないでしょう。

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