2021年9月19日(日)

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聖書一日一章     イザヤ書 35章

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心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ。恐れるな。」(4節)

イザヤはここでは未来の輝かしい時代のことを預言します。1節では、「荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う」と言います。これは、ヨハネの黙示録22章に記されている天国の光景、いのちの木が毎月花を咲かせ、毎月実を結ぶという光景と一致します。また、そんなふうに砂漠に花が咲くのは、6節のように、「荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れる」からですが、これも、ヨハネの黙示録22章の光景と一致しています。しかし、天国を待たなくても、キリストがヨハネの福音書4章14節で「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」と言われたように、キリストを信じる人のうちで霊的に起こることです。また、3節では、「目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う」と言います。天国に行けば、すべての悲しみがなくなるので、障がいがなくなることは明らかです。天国を待たなくても、キリストが来られたときに文字通り起こりましたし、現在も、キリストによって癒されるということがありますし、真理が見えなかった者が見えるようになるということは、キリストを信じる人に起こっています。

さて、3節では、「弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ」と言います。これは身体のことではなく、信仰が弱くなり、心がよろめくことを言っているのでしょう。キリストは、マタイの福音書24章で、世界の終わりが近くなると、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合い、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わし、不法がはびこり、多くの人の愛が冷えると言われました。キリストの再臨によってすばらしい時代が来る前に、それとは反対の時代が来るので、すばらしい時代が来ることを信じにくく、信仰が弱くなり、心がよろめくのです。多くの人がどんどん信仰を捨てていくような時期に信じ続けることは、たやすいことではありませんが、それこそほんとうに信じているかどうかを試される試練であり、必ず通らなければならない所です。自分に言い聞かせましょう。「強くあれ、恐れるな」と。また、互いに励まし合いましょう。「強くあれ。恐れるな」と。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成