2021年9月26日(日)
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聖書一日一章 イザヤ書 42章
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真実をもってさばきを執り行う。(3節)
1節から4節は、神がある人物のことを「わたしのしもべ」と呼んで話されるのですが、マタイによる福音書12章18節は、キリストの預言として引用しています。キリストが人々を威圧することなく、神の真理を黙々と宣べ伝えていかれる不屈の姿が印象的です。「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。衰えず、くじけることなく、ついには地にさばきを確立する。島々もそのおしえを待ち望む。」
ところで、1節で、キリストは「国々にさばきを行う」と言われます。「さばきを行う」ということは、裁判をして有罪か無罪か、どれくらい罪が重いかを決め、しかるべき罰を与えることです。普通は、さばきを行うためには、さばく相手をさばきに従わせるだけの圧倒的な力が必要です。ところが、「彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない」と言うように、非常に穏やかなのです。傷んだ折れやすい葦を折らないほど優しく、くすぶり消えそうな灯芯を消さないほど静かなのです。そんなに静かで穏やかで、どうしてさばきを行えるのかと思いますが、「真実をもってさばきを執り行う」と言われるのです。つまり、だれも反論できないような正しい教えを宣べ伝え、その通りの行いをすることによってその教えを保証し、人々の悪、国々の悪を浮き彫りにし、彼らが自ら気づき、悔い、自分を責めるようにすることでしょう。キリストはその預言通りの方でした。その正しい教えは、どれほど多くの悪い行いをしていた人を悔い改めさせ、また、多くの国々の正義の基準となり、人々、国々をさばいてきたことでしょうか。そして、さばかれる人々に赦しと永遠のいのちを与えてきたことでしょうか。キリストの教え、み言葉は今も働いています。
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