2021年10月2日(土)

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聖書一日一章     イザヤ書 48章

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わたしは苦しみの炉であなたを試した。(10節)

神はイスラエルの人々に、真実な信仰を持っていないことを指摘し、彼らが信じるために、彼らに起こることを前から告げていたと言われます。とくに、12節以下では、「わたしが初めであり、また、終わりである」、「わたしの手が地の基を定め、わたしの右の手が天を延べ広げた」と、ご自分が初めから存在し、天地を創造したことを信じるように言われます。18節では、「あなたがわたしの命令に耳を傾けてさえいれば、あなたの平安は川のように、正義は海の波のようになったであろうに」と言われます。

さて、10節では、「わたしはあなたを練ったが、銀のようにではない。わたしは苦しみの炉であなたを試した」と言われます。銀は火で溶かすと、不純物が浮いて来るので、それを取り除くと純度が高まります。それを何度も繰り返して精練するのですが、繰り返せば繰り返すほど、純粋な銀ができます。神は銀を練るようにイスラエルの人々を練った、銀の場合は火によってだが、彼らの場合は苦しみによって練ったと言われるのです。キリストを信じる人にとっても、たしかに、神が苦しみによって練られるということがあると思います。パウロはローマ人への手紙5章3節で、「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」と言います。苦しみにあうと、我慢せざるをえないので、忍耐力が強められます。忍耐力が強められると、怒ったり、欲望に振り回されたりせず、いつも穏やかな心でいることができ、すぐれた品性を持つようになります。そのように、苦しみは人としての成長をもたらします。それは、神を知らない人でも同じですが、キリストを信じる人は、自分を愛しておられる方が自分を練られると知っているので、受け入れやすいでしょう。さらに、パウロがコリント人への手紙第二1章9節で、「私たちは生きる望みを失うほどでした。それは、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです」と言うように、神にだけ頼るようになるという霊的成長をもたらします。また、ペテロがその手紙第一4章1節で、「苦しみを受けた人は、罪との関わりを断ちました」と言うように、罪から離れるという霊的成長をもたらします。キリストを信じる人にとって、苦しみは必ず益になります。

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