2021年10月4日(月)

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聖書一日一章     イザヤ書 50章

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疲れた者をことばで励ますことを教える。(4節)

4節から9節までは、「主のしもべの歌」と呼ばれ、キリストの預言とされる箇所の3つ目のものです。ある人物の、神に弟子として聴き従っている様子、「疲れた者を励ます」使命、迫害に逆らわず、けれども引き下がらない態度、神への絶対的信頼など、いかにもキリストを預言しているようです。

私はとくに「疲れた者をことばで励ます」使命が心に留まりました。キリストは、マタイの福音書9章35節と36節によると、「会堂で教え、福音を宣べ伝え、あらゆる病気を癒され」ましたが、その動機は、「群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたから」でした。つまり、人々が弱っているのを見て、深くあわれみ、助けようとして活動されたのです。そして、実際にされた活動を見ると、肉体を癒すことと言葉で励ますことをされましたが、言葉での励ましのほうを優先しておられたように見えます。私たちの周りにもいろいろな意味で疲れている方が多くおられます。そういう人のために、食べ物や飲み物を出したり、ゆっくりできるような場所を提供することも必要でしょう。しかし、ここでは、そういうこと以上に、言葉による励ましが必要だし、また、私たちにできるし、役に立つということを教えられました。もっとも、言葉で励ますと言っても、叱咤激励することではありません。キリストはそんなことをされませんでした。むしろ、人々に、神にどんなに愛されているのか、神に頼ればどれほど助けてもらえるのか、神に愛されている者として、どのように生きるべきなのかを教えられました。私たちも習いましょう。

さらに、4節では、「朝ごとに私を呼びさまし、私が弟子として聞くようにされる」と言います。キリストは朝早く起きて一人祈っておられましたが、朝ごとに神の言葉を聞き、弟子として聴き従う決心をされたのでしょう。キリストでも朝ごとに神の言葉を聞く必要がありました。私たちはなおさらです。疲れた人を言葉で励ますためにも、朝ごとに神の言葉を聞きましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成