2021年10月7日(木)
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聖書一日一章 イザヤ書 53章
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それなのに、私たちは思った。(4節)
「主のしもべの歌」と呼ばれるキリストを預言している箇所の4つ目のもので、数百年後の、キリストの十字架の光景とその意味をリアルに語っています。3節は、キリストが逮捕され、侮辱と暴行を受けることの預言です。「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれた。」7節は、キリストが裁判で、自己弁護することなく、沈黙していることの預言です。「屠り場に引かれて行く羊のように、彼は口を開かない。」4節から6節は、キリストが人々の罪を贖うために、身代わりとして苦しみ、死なれることの預言です。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。」9節は、キリストが犯罪人たちとともに十字架につけられ、金持ちのヨセフの墓に埋葬されることの預言です。「彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、設けられた。」10節と11節は、キリストが多くの人を信仰によって義とすることの預言です。「わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。」
さて、3節では、「私たちも彼を尊ばなかった」と言います。私たちはキリストの苦難について、悪い人たちが迫害したと考えます。しかし、普通の人々も同調したのであって、私たちもそこにいたなら同じことをしたでしょう。さらに、4節では、「それなのに、私たちは思った。『(彼は)神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだ』と」と言います。普通の人々は、キリストの死を、異端の教えを広めたから神に罰せられ、打たれたのだ、だから自業自得だと思うと言うのです。昔から社会の問題に一早く気づき、苦しんでいる人々のために声を上げた人は、必ずと言ってよいほど、世間からつまはじきにされてきました。そして、一般の人々も、変なことを言う奴がいるなと思うものです。私もそんなふうに思ったことを思い出します。ですから、確信するのです。私もキリストの時代にいたら、キリストのことをそう思ったと。キリストを苦しめたのは、悪い人たちではなく、私なのです。
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