2021年11月24日(水)

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聖書一日一章     エレミヤ書 35章

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わたしの前に立つ人がいつまでも絶えることはない。(19節)

この章は、「エホヤキム王の時代に」とありますので、前の章から10年以上戻ります。神はエレミヤに、ある一族を神殿の一室に連れて来て、酒を飲ませるように命じられました。彼がそのようにすると、彼らは断り、先祖ヨナダブが「永久に酒を飲んではならない」と言ったからだと、その理由を説明しました。その説明をよく読むと、ヨナダブが禁止したのは、酒だけでなく、土地を所有し、家を建て、定住して農業をすることでした。そして、先祖たちがしていたように、天幕生活をすることを命じたのでした。酒を禁止したのは、アルコールを嫌ってではなく、定住と農業を禁止する上で、農業の代表的な作物であるぶどうとぶどうから造ったものを禁止したのです。一族はその命令を忠実に守って来たのですが、バビロン軍が攻めて来たので、命を守るために仕方なく城壁のあるエルサレムに避難したのでした。神は14節で、「彼らは先祖の命令に聞き従った。ところが、わたしがあなたがたにたびたび語っても、あなたがたはわたしに聞き従わなかった」と言われます。神が一族をほめておられるのは、酒を飲まないことではなく、先祖の命令を忠実に守ったことであり、それに比べて、イスラエルの人々がモーセや預言者たちの命令に聞き従わなかったことを責めておられるのです。

さて、神は18節と19節で、「あなたがたはヨナダブの命令に聞き従った。それゆえ、ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも絶えることはない」と言われます。先祖の命令を堅く守ることが良いわけではありません。それならパリサイ人たちは、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、忠実で模範的でした。問題は神の言葉かどうかです。おそらく、ヨナダブは、パレスチナに定住してからの生活が豊かになると同時に、偶像礼拝に染まり、退廃的になっていることを憂え、貧しいけれど、神をほめたたえて暮らした昔の生活に帰るべきだと、神から示されたのでしょう。貧しい不便な生活がきよい生活だというわけではありません。しかし、往々にして、豊かな生活が信仰的堕落を招くことも事実です。私たちは、バプテスマのヨハネが、町から離れ、荒野でいなごと野蜜で過ごし、お金も家もごちそうも求めなかったことを忘れないようにしましょう。

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