2022年1月20日(木)

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聖書一日一章     エゼキエル書 35章

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わたしは必ずおまえを罰する。(11節)

神はエゼキエルに2節で、「セイルの山に顔を向け、これについて預言せよ」と言われます。「セイルの山」というのは、エドム人が住んでいた、死海の南のほうの山地です。有名なペトラ遺跡のある山地です。その山についての預言ということは、すなわちエドムについての預言です。そのエドムに対して、神はとても激しい言葉を投げかけられます。「わたしはおまえを敵とする。」「おまえの町々を廃墟にし、おまえを荒れ果てさせる。」「わたしはその山々を、刺し殺された者で満たす。」「わたしは必ずおまえを罰する。」

その理由として5節で、「おまえはイスラエル人の災難の時、彼らを剣の力に引き渡した」と言われます。10節では、「おまえは『これらの二つの民、二つの国は、われわれのものだ。われわれはそれを占領しよう』と言った」からだと言われます。ユダ王国をバビロンに売った上に、その領土と、先に滅ぼされた北の王国の領土を自分のものにしようとしたのがその理由です。イスカリオテのユダのようでもあり、火事場泥棒のようでもあります。

しかし、いくら愛する人々を汚いやり方で破滅に追いやったとは言え、神の言葉はあまりにも激しく、怒りと憎しみに満ちているので、驚きます。愛の神とは相容れないように思います。しかし、私はこれらの言葉を読んで、自分の心が癒されるのを感じました。さばきの激しい言葉なのに、どうして癒されるのか、不思議ですが、実際癒されるのです。おそらく、この世界では、人が乱暴な人やきつい人によって傷つくことが多く、自分自身もそういう経験をすることがあり、人がそういう経験をするのを見聞きすることがあり、心が痛んでいたからです。神の激しい言葉は、傷つける者に対して、神が必ず怒って懲らしめられることを確信させ、ほっとさせられたのです。

そのように、痛んでいた心は癒されたわけですが、すると、今度は、自分が人の心を傷つけた過去のことをいくつか思い出しました。私自身も厳しく懲らしめられなければなりません。しかし、悔い改めの祈りさえすれば、キリストによって、赦していただけるのです。感謝です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成