2022年1月22日(土)

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聖書一日一章     エゼキエル書 37章

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骨と骨とが互いにつながった。(7節)

エゼキエルはまた幻を見ました。どこかの平地の真ん中にいて、見回すと、無数の干からびた骨が散らばっていました。神に命じられた通り、骨に向かって、神に代わって、「わたしが息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る」と唱えると、ガラガラと骨々がつながり、筋がつき、肉がつき、皮膚におおわれました。次に、「息よ、四方から吹いて来い。彼らを生き返らせよ」と唱えると、息が無数の体に入り、それらが生き返り、立ち上がり、大きな集団となりました。この意味は、11節以下で神ご自身が解説しておられますが、無数の干からびた骨はイスラエルの人々を表しています。国が滅び、散々になり、「望みは消え失せた」と言っていて、生ける屍だったからです。その骨が生き返ったのは、民族が再生されることを表しています。また、エゼキエルが神の言葉を唱えると同時に神の息が入り、そのとき生き返ったのですが、神の言葉と神の霊によってそのことが起こることを表しています。

さて、エゼキエルが神の言葉を唱えると、骨々がつながり、筋がつき、肉がつき、皮膚におおわれました。これは私自身が神の言葉を聞いている間に、私の中で起こったことです。物心ついたときから、いろいろな知識や情報が自分の中に入って蓄積されてきました。親や身内から聞いたこと、学校で習ったこと、友だちの話、テレビや新聞で聞いたこと、本で読んだこと、やってみてわかったこと、世の中のいろいろな思想から影響を受けたことなど、ありとあらゆる知識や情報です。そのような外からのものだけでなく、自分の中にもとからある、欲望や恐れやあこがれや寂しさや悪い思いが、自分の中でごちゃごちゃと存在していました。何が大事なのか、どのように生きるべきか、自分の好きなように生きるべきか、周りの人の求めに沿って生きるべきか、何が幸せなのか、どうすれば幸せになれるのか、さっぱりわかりませんでした。すべてが混沌としていました。それが、聖書に出会ってから、少しずつ骨と骨とがつながり出したのです。そして、神の言葉を聞けば聞くほど、すべてのものがつながって、一つの体のようになってきたのです。それは精神的な健康のために良いだけでなく、肉体の健康のためにも良いと感じます。神の言葉はたしかに私たちの中にあるものを統合してくれます。

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