2022年4月10日(日)
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聖書一日一章 ゼカリヤ書 6章
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主の神殿を建てる。(12節)
ゼカリヤはまた幻を見ました。4台の戦車が山から出て来ましたが、それぞれ赤、黒、白、まだらの馬数頭ずつが引いていました。ゼカリヤが天使に尋ねると、「全地の四方に出て行くものだ」と答え、そのうちの北に行った馬について、神が「これらは北の地で、わたしの霊を鎮めた」と言われました。「霊を鎮めた」というのは、悪を行っている者をさばくことによって、正しい怒りを静めたということで、馬たちは神のさばきを行う使者のようです。
次に、ゼカリヤは、金銀のささげものを受け取り、冠を作り、大祭司ヨシュアにかぶらせるように、そしてその冠を、建築中の神殿が完成したときにそこに置き、記念とするように命じられました。そして、戴冠するときに、12節と13節のみ言葉を宣言するように命じられたのですが、その言葉が意味深長な預言でした。「見よ。一人の人を。その名は若枝。」「若枝」は、イザヤ書でもエレミヤ書でも未来に現れるキリストを指しているので、ここでもそうでしょう。「彼が主の神殿を建て、王座に就いて支配する。」キリストは王として来、信じる人々を治められます。記念の冠は王なるキリストを予告するものでしょう。では、そのときに建てられる神殿とは何を預言しているのでしょうか。キリストはヨハネの福音書2章19節で、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」と言われました。エルサレムの神殿はやがて破壊されるが、キリストは3日で建てられる、ということは、3日で復活されたキリストご自身が神殿だということになります。キリストはどんな意味で神殿なのでしょうか。そこでヒントになるのは、イザヤ書56章7節で、神が神殿を「あらゆる民の祈りの家」と呼んでおられることです。それは単に祈る場所という意味ではありません。そこで祈ると天に届くことが保証された場所のことです。旧約の神殿には不十分ながらもその保証がありました。身代わりに死に復活されたキリストは、信じるなら罪が赦される保証と、その名で祈れば、天に届く保証を持っておられます。それこそが、キリストが新しい神殿であることの意味だと思います。私たちはいつでもどこでもキリストの名で祈ることができますし、祈れば天に届くと保証されています。その名でいっしょに祈れば、もっと天に届きます。
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