2022年4月13日(水)
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聖書一日一章 ゼカリヤ書 9章
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柔和な者で、ろばに乗って。(9節)
1節に「宣告」とあるように、神はイスラエルを侵略しようとする外国の諸都市に滅びを宣告されます。国の組織も軍もなく、城壁も崩れたままの無防備な人々のために、侵略から守ることを保証しておられるのです。
9節からは急に未来の王のことを話されます。「見よ。あなたの王があなたのところに来る。柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。」これが、キリストが生涯の最後にろばの子に乗ってエルサレムに入られたことの預言であることは、福音書の記者がこの言葉を引用し、そう解説していますので明らかです。そのとき、民衆が熱狂的に迎えたのも、この預言が知れ渡っていたからでしょう。私はこの、キリストがろばの子に乗って行進された出来事には、いつも感動します。軍馬に乗り、騎兵隊に護衛されて行進したのであれば、ものものしく近寄りがたいですが、歩みの遅い柔和で戦闘に向かないろば、それも小さなろばの子に乗って行進されたので、そこに何とも言えない、平和で優しいムードを感じるからです。それはまさにキリストのご性格を表わしていると思います。
しかし、優しければよいというわけではありません。現実世界には、敵も危険もあり、優しいだけなら、滅ぼされてしまいます。王が悠長にもろばの子に乗って行進するためには、圧倒的な力を持ち、すべての敵を征服して、平和を確立していなければなりません。ですから、神は10節で、「彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る」と言われるのです。しかし、キリストは、その時点では、すべての敵を滅ぼして平和を確立しておられたわけではありません。それどころか、敵対する人々に捕えられ、十字架につけられてしまいました。しかし、それは弱かったからではなく、望みのない私たちを救うために、みずから敵の手にゆだねられたのです。現在も、すべての敵を滅ぼしてしまわれないのは、彼らの虜になっている人々を一人でも多く救おうとしておられるからです。平和を確立するための圧倒的な力は持っておられるのです。そのキリストがともにおられるなら、ろばの子に乗るような悠々とした気持ちでいようではありませんか。
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