2022年4月16日(土)
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聖書一日一章 ゼカリヤ書 12章
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自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見る。(10節)
1節には「宣告」とあって、だれに対する宣告かと思って読んでみると、3節に「すべての国々」とあり、世界のすべての国々に対する宣告であることがわかります。2節には「エルサレムが包囲されるとき」とあって、エルサレムが敵軍によって包囲されることが予告されています。しかし、神は「すべての馬を打って驚かし、その目を見えなく」して敵軍を無力化し、イスラエルの指導者たちを「燃えるたいまつのように」し、「どの民も焼き尽くす」と言われます。そのようにして、神は「エルサレムの住民をかくま」い、「エルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしに」されるのです。この預言は、未来のどんなことを指しているのでしょうか。
キリスト教会のことをエルサレムにたとえて、国々から迫害される時のことを指しているのかもしれません。あるいは、世の終わりに、ユダヤ人が全民族的にキリストに立ち返ることがローマ人への手紙で預言されていますが、そのようにしてキリスト者の中心となったエルサレムが、神に敵対する国々から攻撃されることを指しているのかもしれません。
そういうことを踏まえ、10節を読むと、驚くようなことが書かれています。「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、激しく泣く。」「ダビデの家とエルサレムの住民」というのは、キリスト者のことか、キリストに立ち返ったユダヤ人のことでしょう。その人々は、だれかを突き刺して殺したことがあるのですが、そのだれかが「わたし」つまり神ご自身だというのです。神を刺し殺すなどということは、口にするだけでも恐ろしいことですが、人々は神を刺し殺してしまったことに気づいて、自分たちのしたことを悔いて激しく泣くというのです。これは、使徒の働き2章で、ペンテコステの日に、人々がペテロのメッセージを聞いて心を打たれ、実際にしたことです。そして、私も含め、自分の罪深さに気づき、神の御子が身代りに死んでくださったと信じる者が、みな思うことです。キリストを十字架に釘づけにしたのは、ほかでもない、自分だと。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
