2022年4月20日(水)
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聖書一日一章 マラキ書 2章
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彼が万軍の主の使いだからだ。(7節)
預言者マラキについてはあまりよくわかりませんが、預言の内容から、バビロン捕囚から解放され、イスラエルに帰還し、神殿を再建した後のことであることは確かです。ここでは、神が1節で「祭司たちよ」と言われるように、神殿に仕える祭司たちの問題を指摘し、彼らを責めておられます。8節では、神について間違ったことを人々に教え、神の道からはずれさせたことを、9節では、人々に教える上でえこひいきしたことを指摘されます。11節では、外国の偶像の神を崇拝する娘をめとったことを、14節では、妻を嫌って離婚したことを指摘されます。
さて、7節では、「祭司の唇は知識を守り、人々は彼の口からみおしえを求める。彼が万軍の主の使いだからだ」と言われます。祭司は神殿で礼拝の儀式をするだけでなく、神の言葉を人々に教えることをしていたようですが、そういう教える役目の祭司たちを「万軍の主の使いだ」と言うのです。人々にとっては、神から直接聞くことができず、祭司たちからしか聞けないので、祭司は神の代表であり、神とのパイプ役だったからです。それは光栄な務めでしたが、同時に、厳かで、恐れ多い務めでした。それで、ヤコブはその手紙の3章1節で、「多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます」と言います。神の言葉を教える教師の務めが厳かなので、正しく教えることに失敗した場合、厳しいさばきを受けるというわけです。しかし、私たちはキリストを信じる信仰によって永遠の救いを受けていて、行ないによってではないので、正しく教えることに失敗しても、その救いを失うことはないと確信します。これは、それだけその務めが厳かだということを表す表現でしょう。しかし、神の言葉を伝える務めに召された者としては、この言葉によっていつも恐れを感じ、身が引きしまります。その恐れを忘れてはならないと思います。
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