2022年4月23日(土)
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聖書一日一章 マタイの福音書 1章
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その胎に宿っている子は聖霊によるのです。(20節)
今日から新約聖書です。マタイはキリストのことを書く上で、まず、アブラハムからダビデを経てキリストに至るまでの系図を記します。キリストがアブラハムの子孫として、そしてダビデの子孫として生まれると預言されているので、そのように生まれたことを示すためです。18節からは、処女マリアが聖霊によって身ごもったこと、婚約していたヨセフが彼女の過ちを疑い、離縁しようとしたが、天使が夢に現れて、事実を伝えたことを記しています。
さて、創世記には最初の人アダムからアブラハムまでの系図があり、アダムからキリストまで、血筋が連綿と続いています。私自身の系図はせいぜい4代前までしかわかりませんが、すべての人がアダムの子孫であることを考えると、アダムからの血筋が連綿と続いているはずです。すると、私の先祖はユーラシア大陸をはるばる旅し、海を渡ってこの列島に来たことになります。
また、キリストの系図を見ると、何度か血筋が途切れそうになっています。アブラハムとサラに子が生まれるのは絶望的でした。ヤコブの家族はききんで餓死しそうになりました。12節のエコンヤは、バビロンで37年も牢獄に入れられていて、子どももないまま死ぬところでした。同じように、私の血筋もきっと何度も途切れそうになったでしょう。それでも血筋が続いてきて私が生まれたのは、神の御心と奇跡なしにはありえないと思いました。
また、キリストの系図を見ると、隠しておきたいような所があります。3節のユダに双子を産んだタマルは、なんとユダの息子の嫁でした。5節のラハブはもとは娼婦でした。6節に「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生」んだとありますが、「ウリヤの妻によって」と不倫であることを示しています。10節のマナセは、あらゆる偶像の神々を拝み、神を冒瀆した王でした。信仰の家系の血筋がそうなら、私の血筋ならどれほど目を背けたくなることがあるでしょうか。しかし、そんな罪多き血筋の末に、キリストは聖霊によって宿り、まったくきよい人としてお生まれになりました。それゆえ、罪多き血筋に生まれた罪多き私を救うことができるのだと思いました。
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