2022年4月27日(水)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 マタイの福音書 5章
_____________________________________________________________________________
あなたがたは世の光です。(14節)
キリストは、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言って、その宣教を始め、ガリラヤ地方全域を巡って、神と神の国について教え、あらゆる病気の人を癒しておられましたが、そのころ、ある山で人々を教えられました。その教えが3つの章に記されています。どの言葉も宝石のようで、いくらでも教えられること、目を開かれることがあります。
今日はとくに14節の「あなたがたは世の光です」という言葉が心に留まりました。ここで「あなたがた」と言っておられるのは、16節で「天におられるあなたがたの父」と言われるように、神が父であるような人々、つまり、神を父と慕う人々のことです。そういう人々は、人々を照らす光だと言われるのです。それは、いろいろなことがうまくいき、キラキラと輝いている人のことではありません。どんな人も、たとえパッとしなくても、あるいは、病気だったり、いろいろな弱さがあっても、神を父と慕う人なら、光として人々を照らすことができるし、そういう存在であるようにということです。
キリストがここで「殺してはならない」や「姦淫してはならない」などの十戒の戒めを解説しておられるのも、「世の光」であることと結び付けて理解するのがよいと思います。キリスト者に要求されていることと取ると、自分を責める重いものになってしまいますが、私たちはキリストの血によって義務や罪から解放されているのですから、そんな取り方はやめましょう。むしろ、光として人々を照らすために、殺したり、姦淫したりしないで、人を大事にし、家族を愛し、いつも正直でいようという励ましと取りましょう。
48節の「あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい」も同じです。完全であるように要求されているように取ると、そんなのは無理だということになりますが、神が光として輝いておられるように、自分も光として輝くようにとの励ましと取ればどうでしょうか。輝くためには、完全な神に少しでも近づいくことが必要ですが、完全は程遠くても、少しでも近づきたいと願いましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
