2022年4月30日(土)

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聖書一日一章     マタイの福音書 8章

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天の御国で一緒に食卓に着きます。(11節)

キリストがツァラアトに冒された人を癒されたこと、百人隊長が中風のしもべのために、「おことばを下さい。そうすれば癒されます」と言い、その通りしもべが癒されたこと、キリストが熱を出して寝込んでいた、ペテロの姑を癒されたこと、ついて行きたいと願う二人の人に弟子の覚悟を教えられたこと、ガリラヤ湖上で暴風と大波を静められたこと、ガダラ人の地で、悪霊につかれた狂暴な人から悪霊の集団を追い出されたことを記しています。

さて、キリストは、11節で、「多くの人が東からも西からも来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きますが、御国の子らは外の暗闇に放り出されます」と言われます。「御国の子ら」とは、イスラエル人のことです。神は昔アブラハムを選び、ご自身のことを知らせ、子孫に伝えさせ、子孫によって神の国を造ろうとされました。その子孫であるイスラエル人は、神の国を形作るべき人々で、その意味で「御国の子ら」です。しかし、イスラエル人が不信仰のために神の国を造ることができなかったので、神の御子キリストが来られ、新たに神の国を始められました。その神の国に、多くの人が東からも西からもいろいろな国からやって来るのに、イスラエル人は来ないので、神の国に入ることができないし、やがて天で催されるアブラハムらとの祝宴にも加わることができないというのです。

実際、この章で、キリストを信じた人々は、ツァラアトに冒されイスラエルの社会から除外されていた人、ローマ人の百人隊長、悪霊につかれたガダラ人です。普通のイスラエル人は一人もいません。キリストはどんな人も差別しないで愛されるので、やって来た人々がご自身を信じたことを喜ばれたでしょうが、同時に、神が特別に愛してこられたイスラエルの人々が来ないことをどれほど悲しく思われたことでしょうか。ヨハネはその福音書1章11節で、「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった」と言います。私たちも、伝道のために集会やイベントをするときに、きっと来てくれると期待していた人が来ないで、がっかりすることがありますが、キリストご自身がその気持ちを味わっておられたのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成