2022年5月1日(日)
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聖書一日一章 マタイの福音書 9章
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羊飼いのいない群れのように弱り果てていた。(36節)
キリストが中風の人を癒されたこと、取税人であったマタイを弟子にされたこと、取税人たちと食事をされたこと、バプテスマのヨハネの弟子たちから、なぜ断食をしないのかと尋ねられたこと、会堂管理者の死んだ娘を生き返らせられたこと、その衣に、病気で苦しんでいた女性が触れただけで癒されたこと、二人の盲人の目を開けられたことを記しています。
さて、35節では、「すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気を癒やされた」と、キリストの働きをまとめています。キリストは「神の国が近づいた」と言って、その働きを始められました。神の国は罪と災いに満ちたこの世界とは対照的に、すべてが神の御心にかない、同時に人にとってもすべてが調和した幸せな世界です。それは、キリストと弟子たちの間ででき始め、十字架の死、復活、昇天、聖霊の降臨を通して本格的に始まり、目には見えませんが、世界中に広がり続けています。やがて、キリストが再臨されるときに、見える形で完成するのです。
36節では、「群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである」と言います。ここでは、キリストが神の国を宣べ伝えられた動機を説明しています。羊は飼われてきた年月が長いので、羊飼いがいないと弱って死んでいきます。そんな羊飼いのいない羊のように、人々が弱り果てていたというのです。それは、キリストの所に来た病気の人のことではありません。どの人も、体は健康でも、魂が弱り果てていたのです。律法学者たちは、神の掟として規則や義務を押し付けるばかりで、神との血の通う交わりは教えず、人々は抑圧は感じても、どう生きればよいのかわからず、生きる喜びも得られなかったからです。キリストはそんな人々を深く憐れまれました。そして、ご自身が羊飼いになろうとされたのです。人々の羊飼いとしての働きは、どう生きればよいのかを教えることです。また、神に立ち返らせ、神の恵みを豊かに受けられるようにすることです。そして、間違った教えから守り、神の国に入らせることです。キリストはそのような羊飼いとしての働きを私たちにしてくださるのです。
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