2022年5月8日(日)
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聖書一日一章 マタイの福音書 16章
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あなたは生ける神の子キリストです。(16節)
キリストはあるとき弟子たちに、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と尋ねられました。ペテロが「あなたは生ける神の子キリストです」と答えると、「あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です」と言われました。そのように答えたペテロが幸いで、その答えが神が示されたことだということは、それがキリストの本質を一番的確に表しているということです。普通の人が全能の創造主なる神の子だということは、想像もできないことですが、ペテロはその言葉を聞き、そのわざを見、その心に触れて、そう確信したのです。
キリストはさらに、「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません」と言われました。「岩」は原語のギリシャ語では「ペトラ」で、「ペテロ」と掛け言葉になっています。カトリック教会は昔から「この岩」をペテロと取り、ペテロを全教会の長に任命されたと解釈し、その後継者と自認するローマ教皇の権威の根拠にしてきました。しかし、18章で、弟子たちが、自分たちの中でだれが一番偉いのかと議論していますので、弟子たちはだれもそんなふうに取りませんでした。プロテスタントは、その解釈を否定し、「この岩」をペテロの信仰と取り、その信仰が教会の土台だと解釈しました。しかし、この節をすなおに読むと、「この岩」はやはりペテロを指しています。そして、ペテロだけでなく、ほかの弟子たちも土台だということではないかと思います。というのは、エペソ人への手紙2章20節やヨハネの黙示録21章では、使徒たちが団体として教会の土台だと言われているからです。しかし、それは彼らが人間として全教会を支える人だという意味ではなく、彼らが聞いたキリストの言葉、彼らが見たキリストの行い、それはやがて新約聖書となりますが、それが教会の土台だということでしょう。たしかに聖書は教会の土台です。ただ、キリストを正しく伝える媒体としてだけ土台なのであって、本当の土台はキリストです。「生ける神の子キリスト」こそが、教会の土台であり、私たちの救いの土台であり、人生の土台なのです。この土台は、捕らえた者を絶対に逃さないよみの門にも打ち勝つほど強いものです。
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