2022年5月9日(月)
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聖書一日一章 マタイの福音書 17章
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あなたがたにできないことは何もありません。(20節)
キリストは、ペテロが「あなたは神の子キリストです」と信仰を表明したので、安心して、ご自身が十字架で死ぬことを明かされました。その6日後、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて高い山に登られましたが、その姿が明るく輝き、天から「これは、わたしの愛する子」という声が聞こえました。これは、キリストにとっても弟子たちにとっても、十字架に向かうための大きな励ましだったでしょう。
さて、山を下りられると、弟子たちが悪霊につかれた子どもから悪霊を追い出せないでいたので、ご自身が悪霊を追い出されました。そのとき、「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまであなたがたに我慢しなければならないのか」と言われました。どうしてそう言われたのでしょうか。群衆が、ほんとうに追い出せるのかというような、疑い深い態度だったからでしょう。同時に、キリストがあとで弟子たちに、「あなたがたの信仰が薄いからです」と言われたように、彼らが自分を通して神の力が働くと、ほんとうに信じていなかったからでしょう。キリストは彼らの不信仰を責めておられるようですが、それもそのはずです。十二弟子として選ばれ、病気を癒したり悪霊を追い出したりできる権威を与えられ、実際に何度もその権威を使ってみて、力が働くことを体験したのですから、もっと強く信じていて当然です。多く与えられた者は、多く求められます。私たちとは違うのです。
私たちはそこまで求められないでしょう。しかし、自分が不信仰であること、そして、それだから、神の力が働かないことに気づくべきだと思います。私たちは、とかく、こんなに信じているのに、どうして神のみわざが起こらないのだろうかと思いがちです。まず、自分の不信仰を認めましょう。すると、もっと信仰において成長し、強い信仰を持った場合の可能性が見えてきます。キリストは、「もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『移れ』と言えば移ります」と言われました。からし種ほどの信仰でも山を動かすことができるのなら、もっと強い信仰を持つなら、どんなことが起こるでしょうか。実に、「あなたがたにできないことは何も」ないのです。
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