2022年5月11日(水)

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聖書一日一章     マタイの福音書 19章

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神にはどんなことでもできます。(26節)

キリストは、ヨルダン川の向こう側の地方を通って、エルサレムに向かわれましたが、その途上での出来事を記しています。パリサイ派の人々から、妻を離縁することは許されるかと尋ねられたときには、夫婦は神が一体に結び合わされたものなので、引き離してはならないと答えられました。子どもたちを祈ってもらうために連れて来た人々を弟子たちがしかったときには、「子どもたちを来させなさい。天の御国はこのような者たちのものだ」と言われました。金持ちの青年が永遠のいのちを得るためにどんな良いことをすればよいかと尋ねて来たときには、財産を貧しい人たちに分け与えるようにと言われました。青年はそれができず、悲しみながら去って行きました。

さて、金持ちの青年の永遠のいのちを得る道についての質問には、私たちなら即座に、「イエス・キリストを救い主だと信じることです」と答えるでしょう。キリストはどうして「わたしを信じなさい」と言われなかったのでしょうか。永遠のいのちを得る道は、本来、神のみ言葉に従うことです。信仰によって永遠のいのちを得る道は、それができない人のために神が憐れみによって備えられた逃れの道です。青年は自分は正しい人間だというプライドが高く、とてもそんな道は受け入れられないと見抜かれたからでしょう。青年が、立ち去らないで、正直に「とてもできません」と言ったなら、きっと「わたしを信じなさい」と言われたことでしょう。

ところで、永遠のいのちを得る本来の道、神のみ言葉に従うことは、なんと難しいことでしょう。「あなたの隣人を自分と同じように愛しなさい」という戒めは、食べるのに困っている隣人も自分と同じように愛することですし、必然的に財産を貧しい人に分け与えることになるでしょう。しかし、それは、とてつもなく難しいことであり、弟子たちが「それでは、だれが救われることができるでしょうか」と言ってしまうほど難しいことです。しかし、キリストが「人にはできないことですが、神にはどんなことでもできるのです」と言われたように、神は不可能を可能にされました。キリストの身代わりの死によって、だれでも永遠のいのちを得られるようにされたのです。

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