2022年5月14日(土)

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聖書一日一章     マタイの福音書 22章

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聖書も神の力も知らないので、思い違いをしています。(29節)

キリストはろばの子に乗ってエルサレムに入り、昼は神殿の広場で教え、夜は近くのベタニアで泊まるという数日を過ごされました。ここには、王の息子の婚宴のたとえ、カエサルに税金を納めることの是非についての質問に対する答え、復活後の婚姻関係についての質問に対する答え、律法の中でどの戒めが重要かの質問に対する答えなどが記されています。

さて、死後の復活を否定しているサドカイ派の人たちが、死後の復活の矛盾を突くために、7人の兄弟と結婚した妻は、復活後だれの妻になるのかと質問してきましたが、キリストは答えられました。「あなたがたは聖書も神の力も知らないので、思い違いをしています。復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。」人は、復活後のことを考えるとき、現在の延長線上で考えます。すると、死んで復活するという激変はあっても、同じような人生がまたやって来ると思うので、死ぬ前の人生と整合性がとれないのです。しかし、神はイザヤ書55章9節で、「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」と言われました。ですから、復活後の世界は、現在の世界からは想像もつかないすばらしい世界のはずです。

王の息子の婚宴に招かれた多くの客が来ようとしなかったのは、神の国に招かれた多くの人がその招きに応じようとしないことを指しているのでしょう。神の国の招きに応じようとしないのは、神の国に魅力を感じないからで、どうして魅力を感じないのかと言えば、地上の国の延長線上で神の国を考えているからでしょう。しかし、神の国は地上の国からは想像もつかないすばらしい国のはずです。婚宴から礼服を着ていない人が追い出されましたが、「お金がなくて、礼服を買えませんでした。どうかここにおらせてください」と言えば、礼服を支給されたことでしょう。黙っていたのは、そこにいられなくなってもかまわなかったからでしょう。神の国は入っても入られなくてもかまわないようなつまらない場所ではありません。見たことがないようなすばらしい場所なので、ぜひとも願って入らせていただきましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成