2022年5月21日(土)

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聖書一日一章     マルコの福音書 1章

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神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。(1節)

バプテスマのヨハネが悔い改めを勧め、キリストの到来を予告したこと、キリストがヨハネからバプテスマを受けられたこと、宣教を開始されたこと、最初の弟子を取られたこと、会堂で教え、汚れた霊を追い出されたこと、ペテロの姑を癒されたこと、集まって来た多くの病人や悪霊につかれた人やツァラアトに冒された人を癒されたことを記しています。

さて、マルコはこの福音書を「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と書き出します。私はキリストを神の子だと信じていますし、そのように話すことも多く、この書き出しを気に留めることはありませんでした。しかし、「神の子、イエス・キリスト」とは、イエスという人は神の子でキリストだという宣言で、旧約聖書で預言されているキリストだというのはまだしも、人間が唯一の神、創造主なる神の子だとはとても信じられないことです。そのことを、冒頭で、いきなり何の説明もなく書いているのです。普通なら、イエスという人がどんな生まれのどんな人で、どうして神の子なのかを説明するところですが、そうしません。それは、神の子だということは、どんなに説明しても納得してもらえないからでしょう。それは、聖霊によって信じることができることです。そう信じることができていることは幸いです。

とはいえ、説明はなくても、それを示す事実は書いています。11節では、キリストの頭上で、天が裂け、聖霊が鳩のように下り、天から「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」という神の声が聞こえました。また、22節にあるように、教えられるとき、律法学者たちのように、聖書にこう書いてあるとか、これはこういう意味だとか解説するのではなく、「わたしはこう言う」と神の権威を持って教えられました。また、ある人についていた悪霊に、「この人から出て行け」と命じられると、その通り出て行きました。また、様々な病気の多くの人を癒し、多くの悪霊を追い出し、悪霊どもがものを言うことを禁止されました。キリストが神の子でなければ、多くの人を救うことができません。キリストは、たしかに、神の子です。それは、どんなに多くの人でも救うことができるということです。

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