2022年5月28日(土)

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聖書一日一章     マルコの福音書 8章

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あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。(33節)

キリストが4千人の聴衆を7つのパンと少しの小魚で満腹させられたこと、パリサイ派の人々が天からのしるしを求めたこと、偽善に対する警告、キリストが目の見えない人を見えるようにされたこと、ペテロの信仰の表明、キリストが、殺され、3日後によみがえることを予告されたことを記しています。

さて、キリストが弟子たちに、長老や祭司長や律法学者たちに捨てられ、殺され、3日後によみがえると言われたとき、ペテロはキリストをわきにお連れして、いさめ始めました。マタイの福音書によると、そんなことを言ってはなりません、の類のことを言ったようです。それに対し、キリストは、「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と言われました。ペテロをサタン呼ばわりされたのではなく、ペテロにサタンが働いていることを感じ、サタンに言われたのでしょう。ペテロの言葉は人のことを思ってのことだと言われるのです。たしかに、ペテロが願うように、キリストが今のようにすばらしい教えと驚くような奇跡を続けられれば、ますます従う人が増え、キリストの名声が高くなり、国全体を教化することもでき、自分たちの誇りも高くなり、すべてがうまく行くでしょう。しかし、それは人の都合です。キリストの教えがどんなに広まっても、教団が拡大し、盤石な組織ができても、人はみな罪人であり、だれも、神の御心にかなわないので、永遠のいのちを得られないとなれば、すべてがむなしいことです。キリストが36節で、「たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょう」と言われる通りです。神の願いは、愛する人々が永遠のいのちを得ることであり、キリストはそのためにご自分のいのちを捨てようとなさっていたのです。それが神のことを思うことであり、同時に、本当の意味で人のことを思うことでもあるのです。

私たちも神のことを思わないで、人のことを思うことがあります。教会の若い人が進学や就職や結婚などで遠くへ行かれるときには、とても寂しく、行かないでほしいと思います。しかし、神のことを思っていれば、神が一人一人を神の国のために生かそうとしておられるのですから、喜ぶべきなのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成