2022年5月29日(日)

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聖書一日一章     マルコの福音書 9章

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片手でいのちに入るほうがよい。(43節)

キリストが高い山の上で光輝いたこと、山を降りると、弟子たちが悪霊を追い払えずにいて、人々の不信仰を嘆きながら追い払われたこと、だれが一番偉いか論じ合っていた弟子たちに仕える者になれと諭されたこと、他の信じる人や自分自身をつまずかせないように警告されたことを記しています。

さて、42節から47節では、キリストが、「つまずかせるなら」、「大きな石臼を首に結び付けられて、海に投げ込まれてしまうほうがよい」とか、「手を切り捨てなさい」とか、「足を切り捨てなさい」とか、「目をえぐり出しなさい」とか、恐ろしいことを言われます。これを聞くと、つい感情的になって手を出してしまったときに、手を切り捨てるべきかと思いますし、異性を見て淫らな思いを抱くときに、目をえぐりだすべきかと思います。しかし、ここで「つまずかせる」と言っておられるのは、罪を犯させることではありません。そうではなく、キリストへの信仰をやめさせること、キリストから引き離すことです。私たちはキリストを信じることによって、すべての罪を赦され、さばきを免れ、ゲヘナつまり地獄に落とされることがなく、確実に天国に入れます。罪は犯さないほうがいいですが、犯さないではおれません。しかし、キリストを信じていれば、どんな罪も赦されるので、罪のためにゲヘナに落とされることは絶対にありません。キリストへの信仰は永遠のいのちの鍵です。逆に、信仰をやめることは、永遠のいのちを失うことです。ですから、信仰をやめさせるようなものは、何としてでも避けなければなりません。手や足や目が信仰をやめさせるのなら、それを切り捨ててでも、何より大事な永遠のいのちを確保するようにということです。というか、切り捨てなくてよいように、信仰をしっかり持っていなさいということでしょう。

そのことは、言い方を変えると、天国に入ること、あるいは永遠のいのちを持つことは、手や足を切り捨てる、あるいは目をえぐりだす、そんなことは絶対したくないことですが、それをしてでも惜しくないほど、すばらしいものだということです。そのすばらしい天国に、信仰をしっかり持って、手や足や目を切り捨てることなく、入りましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成