2022年6月25日(土)

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聖書一日一章     ルカの福音書 20章

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天から来たのですか、それとも人から来たのですか。(4節)

キリストが子ろばに乗ってエルサレムに入られてからの数日間に、神殿の広場で話されたことを記しています。

さて、2節で、祭司長たちは、キリストに「何の権威によって、これらのことをしているのか、あなたにその権威を授けたのはだれなのか」と詰問しました。キリストが祭司とか律法学者とか公的な資格を持たないのに、神殿の広場で教えていることを問題に思ったからです。大祭司が祭司長を任命し、祭司長が祭司を任命するという具合に、上の者が下の者に権威を授ける仕組みになっていたのです。この世の権威の仕組みです。キリストはそれには直接答えず、「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか」と言われました。国民的に真の預言者と認められていたバプテスマのヨハネは、だれからも任命されていませんから、権威を天から授けられたということになります。祭司長たちは、そうは認めたくはなかったのですが、それが事実でした。もちろん、キリストの権威も、天から来たものです。そして、私たちが信仰の拠り所にしている聖書の権威も天から来たものです。

それでは、クリスチャンがある働きに就く場合はどうでしょうか。12使徒だけはキリストから直接任命されました。これは、天から来た権威と言ってよいでしょう。しかし、エルサレム教会の7人の執事は、会衆が選び、使徒たちが手を置いて任命しました。パウロが宣教師として派遣された場合は、アンテオケの教会で、みんなが礼拝をしていたときに、聖霊が示され、それを受けて、人々が送り出しました。パウロが伝道してできた教会は、パウロが長老たちを選びましたが、パウロは使徒の働き20章で彼らのことを、「聖霊がお立てになった」と言っています。そのように、人が選ぶ面と、神から任命される面があるようです。教会や伝道の様々な働きに就いたり、派遣されたりする場合、聖霊による内的な導きと確信は大切ですが、それをもって天からの権威だと主張することは、あまりに独善的です。教会の人々の賛同や承認があって初めて確かなものになると思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成