2022年8月14日(日)

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聖書一日一章     使徒の働き 25章

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死罪に当たることは何一つしていません。(25節)

パウロはエルサレムで捕らえられ、カイサリアのローマ総督府で、ユダヤ人の指導者たちにおもねる総督フェリクスによって2年も拘留されていました。後任のフェストゥスが来ると、ユダヤ人の指導者たちはパウロを暗殺するため、エルサレムに移すように求め、フェストゥスも彼らにおもねって応じようとしたので、パウロは皇帝に上訴しました。そのためローマに送られることになり、それまでの間、フェストゥスはパウロが訴えられた理由がさっぱりわからないので、表敬訪問に来たイスラエル北部を治める王ヘロデ・アグリッパ2世と妹ベルニケに、パウロの話を聞いてもらうことにしました。

さて、25節で、フェストゥスはパウロについて、「彼は死罪に当たることは何一つしていません」と言います。死罪に当たることが何一つないだけではなく、26節では、囚人を送るのに書き送るべき事柄が何もないと言っていますので、罪はまったくないと考えていたと言えます。それなら、釈放すればよいのに、そうしませんでした。自分の都合のためです。パウロは、ユダヤ人の指導者たちの宗教的権力とそれにおもねるローマ総督の権力によって、罪がないのに囚人にされてしまいました。実に理不尽な扱いです。それはキリストと同じです。キリストこそ罪がないのに、権力によって十字架刑に処され、殺されました。キリストも理不尽な扱いを受けられました。キリストを信じる者も、強い人たちや権力によって、理不尽な扱いを受けることが少なくありません。悔しくても、相手が強いと、負けるしかありません。しかし、パウロをさばいていたローマ総督とその法廷は、もっと大きな目に見えない法廷でさばかれていたのです。神の法廷です。ローマ総督がパウロをどう扱うか、神はその法廷で見ておられ、さばかれたのです。罪のない人を囚人にしたのですから、厳しい罰が下されることでしょう。ユダヤ人の指導者たちも、理不尽な扱いをするあらゆる人も、いやすべての人が神の法廷でさばかれていて、やがて相応の罰を受けることになります。私たちも例外ではありません。実に、キリストは、この法廷で私たちが永遠の罰を宣告されないように、身代わりに十字架で死なれたのです。キリストを信じる者は、信じた瞬間、この法廷で無罪宣告され、死後の審判も何も心配ありません。

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