2022年8月15日(月)

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聖書一日一章     使徒の働き 26章

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それは太陽よりも明るく輝いた。(13節)

パウロはカイサリアのローマ総督府で2年拘留されていましたが、新しい総督フェストゥスが着任すると、ユダヤ人の指導者たちはパウロを暗殺するため、身柄をエルサレムに移すように求め、総督も彼らにおもねって応じようとしたので、パウロは皇帝に上訴しました。そのためローマに送られることになり、それまでの間、総督は、パウロが訴えられた理由がさっぱりわからないので、表敬訪問に来たイスラエル北部の王ヘロデ・アグリッパと妹ベルニケに、パウロの話を聞いてもらいました。パウロは、彼らに、キリストを信じる人々を迫害していたのに、キリストに出会い、かえってキリストからその救いをすべての人に伝えるために遣わされたと話しました。

さて、パウロはダマスコへの途上で体験したことを、13節で、「真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私とともに同行していた者たちの周りを照らしました」と話します。キリストはそのとき、太陽よりもまぶしく輝く光として現れました。まぶしく輝く光に包まれていることは神の本質です。キリストは地上では普通の人間でおられましたが、その本質は神であり、まぶしく輝く光に包まれているのが本来のお姿です。パウロはテモテへの手紙第一6章16節でキリストのことを、「近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることができない方」と表現します。そればかりか、キリストは、地上で普通の人間でおられたときにも、その人格は人々の心をまぶしく照らす光でした。ヨハネはその福音書1章14節で、「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」と言います。そのようなキリストの光は、クリスチャンたちの中にも、聖霊によって宿っています。パウロはクリスチャンたちを迫害しながらも、彼らの中にある光がまぶしかったのではないでしょうか。金も権力も求めず、互いに愛し合い、貧しい人々に分け与え、迫害する者を憎まず、ひどいことをされても赦す生き方です。私も、神を信じない人々からもまぶしく思われる生き方をしたいと思います。今はとてもそうではありませんが、もっともっと聖霊に満たされ、キリストのようになりたいと思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成