2022年9月3日(土)
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聖書一日一章 コリント人への手紙第一 1章
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神の力、神の知恵であるキリスト。(26節)
この手紙の宛先であるコリントは、ギリシャのアテネから西に80kmぐらいの所にある町で、パウロは第2次伝道旅行でそこに行き、アキラとプリスキラ夫婦に出会い、協力しながら、1年半滞在して宣教し、その地方の拠点となるような群れが生まれました。この手紙はその数年後、第3次伝道旅行でエペソに長く滞在していたときに書き送ったものです。
パウロはクリスチャンたちが、「私はパウロにつく」、「私はアポロにつく」などと言って派閥に分かれていることに対し、人につかないで、キリストについて一致するように頼みます。そして、そのように人につこうとするのは、その人の知恵に感心して頼りにしようとするからで、人の知恵は神の目には愚かなので、人の知恵に頼らず、神にだけ頼るように勧めます。
さて、18節では、「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かである」と言います。「十字架のことば」とは、キリストが人々の身代わりに十字架で死なれたこと、復活して神の子であることを証明され、信じる者は罪を赦され、救われることですが、この世の人々には愚かに見えると言うのです。とくにギリシャ人は、22節で言うように、知恵を追求し、知恵を誇っていたのですが、そのように知恵を基準として考える人々には愚かに見えると言うのです。ギリシャの知恵と言えば、プラトンやアリストテレスがその代表ですが、現在の学問はその流れを汲んでいると言われます。だとすれば、現在の学者や知識人あるいはその影響を受けている人々が、キリストの信仰をおかしい、信じられないと思うのは、当然のことです。しかし、24節で言います。「召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。」キリストが神の子であること、十字架の死の意味、信仰による罪の赦しなどは、キリストに召され、聖霊によって新しく生まれた者しか受け入れられないことです。そして、そのように召された者にとっては、何よりもすばらしい知恵であり、知恵であるだけでなく、実際に効果のある神の力です。この世の人々にはいくら説明しても受け入れてもらえませんが、私たちはこの神の力を体験し、その事実を見せ、証することはできます。
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