2022年9月5日(月)
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聖書一日一章 コリント人への手紙第一 3章
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大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、
成長させてくださる神です。(7節)
パウロはここでは、人を見ないで神を見るように教えています。1章では、コリントのクリスチャンたちが「私はパウロにつく」「私はアポロにつく」などと言って派閥に分かれているのを問題にし、一致するように勧めましたが、その原因は、人々が指導者に注目し、偉いと思っていたからです。そこで5節で、「アポロとは何なのでしょう。パウロとは何なのでしょう。あなたがたが信じるために用いられた奉仕者であって、主がそれぞれに与えられたとおりのことをしたのです」と言います。人々が偉いと思っている指導者は用いられた道具に過ぎず、言われた通りにしただけだと言うのです。
さらに、6節では、「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です」と言います。パウロは第2次伝道旅行でコリントに行き、キリストを伝え、1年半ほど滞在して伝道したので、大勢の人が信じました。パウロが去った後、雄弁で聖書に通じたアポロが来て、長く教えたので、人々は神の言葉にしっかり根ざすようになりました。そんなふうに、たしかにパウロが植え、アポロが水を注ぎました。しかし、パウロがどんなにキリストのことを伝えても、聖霊が人々の心を動かされなければ、だれも信じなかったでしょう。パウロ自身がこの手紙の12章3節で、「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません」と言っています。また、アポロが聖書を用いて雄弁に語っても、聖霊が人々の心にその言葉を書き記されなければ、知識にはなっても、信仰にはならなかったでしょう。パウロがコリント人への手紙第二3章3節で、クリスチャンの確信は「御霊によって、人の心の板に書き記されたものです」と言っている通りです。
そのように、パウロが植え、アポロが水をやったとしても、クリスチャンたちが信じ成長したのは、聖霊により、神によるのです。私たちもすぐに人を見てしまいます。大きな働きをしている人を見ると、すごいと思ってしまいますが、用いられた人を見ないで、実質的に働かれたキリストを見ましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
