2022年9月7日(水)
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聖書一日一章 コリント人への手紙第一 5章
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古いパン種をすっかり取り除きなさい。(7節)
パウロはここではクリスチャンたちの中に「父の妻を妻にしている者がいる」ことを問題にし、どのように対処すべきかを指示します。「父の妻」というのは実母ではなく、後妻で、おそらく父の死後、自分の妻にしていたということでしょう。これは、聖書では、レビ記18章8節で禁じられていますし、「異邦人の間にもないほどの淫らな行い」と言うように、ギリシャ人の間でも忌み嫌うべきことでした。ちなみに日本の法律でも禁じられています。パウロはその人について、「霊においては、すでにさばきました」と言いますが、何らかの痛みを味わうように祈ったということでしょう。それは、5節で言うように、肉体的苦しみによって、悔い改め、信仰に立ち戻って、キリストの再臨の日に救われるためでした。しかし、パウロは教会の対応も問題にし、11節で、「兄弟と呼ばれる者で、淫らな者、貪欲な者、偶像を拝む者、そのような者とは付き合ってはいけない」と言います。教会の中に淫らなことが広まらないためと、本人に悔い改めを促すためです。
さて、6節と7節では、「わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。古いパン種をすっかり取り除きなさい」と言います。キリストは偽善をパン種にたとえられましたが、ここでは、6節で「あなたがたが誇っているのは、良くないことです」と言うように、「誇り」をたとえています。「誇り」と言っても、金持ちであることの誇りや教養のあることの誇りではなく、神を恐れない高ぶりのことだと思います。人間には生まれながらに、近親者と性的関係を持つことへの恐れがあり、それは神の掟を破ることへの恐れですが、それを平気で破ることは、神を恐れぬ高ぶりです。神を恐れぬ高ぶりは、性に関することだけではなく、たとえば、信頼しきっている友人を売るような行為もそれです。わずかなパン種がこねた粉全体をふくらませるように、そのような高ぶりは教会の中で広がっていくものです。そして、人々をつまずかせ、信仰を失わせます。神を恐れない高ぶりの芽は私たちの中にもあります。大事なことは、気づいて、神に告白し、取り除いてくださるように祈ることです。私たちを愛しておられる神が必ず聖霊によって取り除いてくださいます。
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