2022年9月11日(日)

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聖書一日一章   コリント人への手紙第一 9章

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あなたがたも賞を得られるように走りなさい。(24節)

パウロは、ここでは、報酬を受けないで伝道している理由を説明します。まず、働く者が報酬を受けるのは当然の権利だと言い、その根拠として、兵士や農夫の例を挙げ、申命記25章4節から、「脱穀をしている牛」つまり働いている人に、「口籠をはめては」つまり食べられないようにしてはならないと言い、さらに、神殿で仕える祭司の例を挙げます。しかし、自分はその権利をあえて用いなかった、無報酬で福音を伝えるという誇りのため、お金のために伝道しているような誤解とつまずきを与えないためだと言います。

さて、24節では、信仰の歩みを競技場での競走にたとえます。信仰の歩みは、競走で勝った人が賞、ギリシャでは月桂樹で編んだ冠で、最高の栄誉でしたが、その賞をもらうのと同じように、永遠に朽ちない冠という賞をもらうすばらしい歩みです。ただ、競走で賞をもらえるのは一人だけで、みんながもらえるわけではないように、信仰の歩みでも、一人ではなく大勢ですが、それでもみんながもらえるわけではありません。それで、「あなたがたも賞を得られるように走りなさい」と激励します。

賞を得られるように走るために大切なこととして、3つのことを挙げます。一つは、「競技をする人は、あらゆることについて節制します」と言うように、節制です。節制というと、我慢ばかりすることのような印象がありますが、欲望に溺れて度を越さないことで、いわば健康的生活です。何かにのめりこんで神を忘れてしまわないために必要です。一つは、「目標がはっきりしないような走り方はしません」と言うように、目標をはっきり意識して、それに向かってひたすらまっすぐ歩むことです。ヘブル人への手紙12章2節では、キリストが「辱めをものともせずに十字架を忍び」と、目標に向かってひたすらまっすぐ歩まれたことを述べています。目標に向かってひたすらまっすぐに歩まないと、到着できません。一つは、「私は自分のからだを打ちたたいて服従させます」と言っていることです。私は、自分に痛みを与えることではなく、たたいてほこりを出すように、自分の罪を思い出し、神に告白し、悔い改めの祈りをし、聖霊の助けを求めることだと思います。

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