2022年9月12日(月)
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聖書一日一章 コリント人への手紙第一 10章
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その岩とはキリストです。(4節)
パウロはここでは、偶像礼拝を戒めます。8章で、偶像にささげた肉を食べてよいかという問題を論じましたが、その関連です。結論的に、偶像の宮で、偶像の神にささげた肉を食べるのはだめですが、同じ偶像にささげた肉でも、市場で売っている肉や招かれた家で出される肉はオーケーです。ただ、特殊なケースとして、クリスチャンだと知っていて、親切に「これは偶像にささげた肉ですよ」と言ってくれる場合は、その人の良心のために、食べないようにと言うのです。実に明解で理にかなった原則です。その話の中で、多くの人に慰めを与えてきた言葉が13節に出てきます。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」
しかし、偶像礼拝を戒める話は、出エジプトのことをたとえにしていて、わかりにくいです。2節から4節では、「みな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け、みな同じ霊的な食べ物を食べ、みな、同じ霊的な飲み物を飲みました」と言います。イスラエルの人々が海の中を歩いて渡ったことを、水の中を通ったことで、バプテスマにたとえています。そして、天から降って来たマナを聖餐のパンにたとえ、岩を打って湧き出した水を聖餐のぶどう酒にたとえています。さらに、よく読むと、それは単なるたとえではないことがわかります。4節では、「彼らについて来た霊的岩から飲んだのです。その岩とはキリストです」と言います。これは驚きです。モーセが杖で打った岩は、普通の岩ではなく、人々に「ついて来た霊的な岩」、つまり生き物のように人々について来た岩だと言うのです。まるで童話のようです。実際には地震で転がって来たのかもしれません。では、「その岩とはキリストです」とはどういう意味でしょうか。生まれる前のキリストが岩の姿で現れ、喉が渇いて死にそうな人々に、水を与えられたということです。出エジプトの時代でも、神を信じる人々が危機のときには、キリストがそこにおられました。キリストは信じる人々が危機のときに、いつもそばにおられます。私自身、危機のときに、「主よ」と叫んで、危ない所で助けられたことが、何度もあります。たしかにキリストは危機のときにそこにおられます。
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